東京ボーズコレクション

ヤバい。茶吹いたw
色んな宗派の偉いお坊さんが集まって、築地の本願寺でお話ししたり、法要を執り行ったりするらしい。

http://ginza.keizai.biz/headline/520/index.html

そしてカフェドシンランにぶったまげた。
仏様の教えはロハスらしい。ロハスなんて言葉、使ってる奴いんのかよwwwwwwwてっきり痛い一発芸か何かだと思ってたぜwwwwwwwwwwそれにしてもロハスなんて言葉が入り込んでるっつーことは、ロハスっていう言葉をよく使う人達が中に入り込んでるんだろうな。まだロハスなんて使えると思ってる所がおめでてーぜw
カフェドシンランでは季節の野菜とか肉の料理が出たり、ヨガができたり、精進料理が出たりするらしい。
真宗は元々なまぐさなので肉は良いんだろうけど、精進料理って、そもそも関係なくない?あとヨガとの関係も良く分からない。ここは一発普段の真宗のお坊さん方の普段の生活を反映したものにして頂きたい。
まあ、普通に喫茶店みたいにするのが面白いと思うんですけどね。

http://ginza.keizai.biz/headline/491/index.html

そういうことで最近地味に仏教がはやってるらしい。
でも禅宗が多いよなあ。座禅とか。みんな内省的なんですね。密教とか真宗とかの方が自分の思索とは関係なく往生できるという教義なんだけどなあ。
あ、でも往生を遂げることよりも、座禅を組んで、考え込むことで今の自分についてまとめたいということなんだろうか。そう考えるとそれはそれで俗っぽいというか、極楽なんてありゃしねーみたいな現代の死生観を反映してるような気もする。
そして俺の中での日本史の知識としての仏教の諸宗派のまとめは、

とかとか。禅宗に微妙に詳しいのは実家のお墓が曹洞宗だから。あと黄檗宗は赤門寺があるから知ってるんだろうな。隠元さんが日本に伝えたらしい。(以下日本史の無駄知識が羅列されます)

浄土宗系

こうまとめてみると、一番人気が出そうなのはやっぱ浄土真宗だと思うんですよね。だって、一生に一回、心を込めて、南無阿弥陀仏」って言うだけで極楽にいけんだぜ。
浄土宗なんて、一日中ずーーっと南無阿弥陀仏って言ってないといけないし、禅宗なんて、座禅組んで、座ってなきゃいけないし、密教なんて、護摩焚いてムニャムニャ言わないといけないんだよ。そんな面倒なことしたいわけないじゃん。
それに比べれば真宗なんて、南無阿弥陀仏」って言うだけ(心を込めて)で極楽に行けるんだから楽なもんだ。それに氏ぬまでに一度は心を込めて仏様にすがろうと思うかもしれないじゃんという淡い期待も抱けるし。
そういうことで本当この世は地獄だぜーーーーみたいな時代には真宗が盛んになって、一向門徒一揆なんて起きたんだろうな。そりゃ織田さんにフルボッコにされるってもんです。いくら心を込めて南無阿弥陀仏って唱えて、来世は極楽だぜひゃっほーーーいとか思っててもやりすぎです。相手が悪過ぎです。でも往生できると思ってるからおっかないものないんで、そういうことが起こったんだろうなあ。

密教

それに似た感じなのに密教があって、護摩を焚けば良いことがあるというのはとても分かりやすく、金と時間があれば出来るんじゃね的なノリがして良い。とても良い。深い宗教心なんて持ってなくても飛びつけそうな感じがしますよね。
今の人から見れば、そんなお前護摩焚くだけで(ryとか思うんだろうけど、それは後の人だからそう思うだけで、飛鳥時代の人とかから見たらそりゃ魅力的でしょ。しかも当時としては先端のものが渡ってくる中国由来だし。そりゃ豪族の方々も飛びつくっつー話です。そんなね、日本古来の神道なんてダサくてやってらんねーよっつーことですよ、当時の人からしてみりゃ。八百万の神とか何こいてんのこいつダサみたいなの。
それと神社勢力を背景に持ってた人達とのあれが相まって広まったらしいです。はい。授業で聴いた話なので、あんまし俺の偏見は入ってません。
でも、hogeするとfugaのご利益があるよというのは現世利益(げんぜりやく)を追及してる感じであんまし仏教っぽくない。どちらかというと道教的であるなあ。
そして正直なんで密教系の宗派を起点にして仏教が広まったのか良く分からない。
だって護摩を焚くのなんて施設が必要だし、いくら当時の貴族が暇だからって、本気で来世を信じて護摩を焚くとはちょっと思えんのですよね。その辺が今の合理主義が浸透した現代から歴史を見るときに実感できないものの最大のものであるなあと思う。いつも。
だってドラマで上杉謙信が、「hogehogeそわか」とかいって毘沙門様に祈願してる所を見ても基地外じみてるとしか思えないんっすよね。ちょっwwwwおまw本気かよと思ってしまうのです。
まあ平安時代の貴族の行動の優先順位の第一位には神仏に対してお勤めをするとかだったんだから、流行ったんだろうな。娯楽の一種だったのかもしれないなあ。まあそうやってプラプラ遊んでりゃ傭兵だったはずの武士にボコられるわな。

禅宗

パッと見て一番入りたくないのが禅宗です。
キツそうなので。
何で黙って座ってなきゃいけねーんだよとか、棒っ切れでぶっ叩かれたのに、「ありがとうございます」とか言わなきゃいけねーんだよ、とか思うんですよね。よく座禅組むとそういうシーンがあるんだけど、あれは自分を追いつめるのが好きな可哀想な人がやるもんだと思ってました。
歴史の教科書には、鎌倉時代質実剛健の精神と、禅宗の自分を追い込んでどうのこうのっていうのがマッチして武士に支持されて広がりましたとか書いてあるけど、これもよくわかんねー。本当に当時の武士っつーのがそこまで真面目だったのかと。豊臣秀吉徳川家康以前の武士なんて、俺、武士になるとか言えば雑兵程度には使ってくれた時代で、ピンキリだったろうになあ。
あとはあれか、全を組むと世界が見えますとかいうGTOの大宇宙練馬教みたいな人がいて、それから広まったのかなあ。
鎌倉幕府の保護があったからって、広まり過ぎだよな。鎌倉なんて禅寺ばっかだし。
Nunoさんに座禅組もうぜとか誘われたんだけど、キツいことは嫌いなので俺は真っ平ごめんです。大宇宙が見られなくても俺は俺で適当にやるのでそれで良いです。悟りの境地とか、ぶっちゃけどーでもいー。というか、自分を見つめ直したら俺の自我は確実に崩壊するw

日蓮宗

なんというか、開祖がそもそも島流しにされるとても楽しい宗派です。イメージ的にはニッポン\(^o^)/オワタとかそういうことを言う新興宗教がある程度の周期である程度の規模の支持を得るのとの類似性を感じます。でも言ってることはそこそこ普通なので飛んでもかっつーとそういう訳でもない。
とか普通のことはどーでもよくて、日蓮宗といえばそれはもう石原莞爾とか、北一輝とか、井上日召とかの当時の全体主義的な右翼の烈々たるガイキチ共を排出したというイメージがデカいです。特に石原莞爾は本気で末法を信じて、最終戦争論を唱えてたんだから本物です。その上更にその勢いで満州まで分捕っちまうんだから、本物とかそういうのを超越して変態です。基地外に変な知恵と地位をつけると碌なことしねーっつーのの良い例だと思います。
井上日召もまた本物で、一人一殺とか、やっぱりこいつもトチ狂ってるとしか思えません。結盟団事件だっけ。北一輝226だかなんかだった気がする。まあ何にしても突っ走ってる人が多いイメージがある。宗教と政治があんまし離れてないのはやっぱ開祖の日蓮立正安国論からの癖なんですかね。身延山は良い所なんだけどな*1。こういう一連の歴史上の本物の人達の系譜を見るにつけちょっと日蓮宗はご免蒙りたい感じがする。

まとめ

そういうことで、俺的には浄土真宗が一番お手軽でお薦めです。
その次がと言われるととても厳しいけど、禅宗かなあ。座ってるだけで良いんで。
浄土真宗は一日中南無阿弥陀仏と言ってるのは厳しいので敬遠しとく。密教護摩を焚く施設がないし、そもそも奥義を授けられてないので、無理。
なので、まあ一度築地の本願寺に行ってみれば良いと思いました。あと座禅は組みたくないです。

*1:でもそのときにとある新興宗教(創価学会ではない)の人が数千人のオーダーで巡礼に来てて若干引いたのはここだけの秘密だ。