江戸幕府は馬鹿の集まりだった訳ではない

よく小学校から中学に掛けて歴史の授業で習う意見としては、外国が来ました、江戸幕府は頭が固いので維新の志士(当時虐げられていた下級武士と、蔑ろにされていた公家)が江戸幕府を倒して明治政府を作って欧米列強に負けない国作りを始めました。とかいう今時どこの階級闘争史観と、勧善懲悪と、体制よりの歴史感だよと思うのですが、それなりに多くの人に浸透していそうなので、初等教育は恐ろしいものですと思うものが存在します。
これをすんなり受け入れられてしまう素地というのは、支配階級はふんぞり返っていて、それより下の階級の人々は年がら年中虐められていて鬱憤が溜まっていたというのと、所謂「馬鹿殿」というものの存在がまことしやかに囁かれていて、誰かしら信じていたことと、特にそのシンボルとして徳川斉昭があり、石頭の権化として井伊直弼があり、その上ヒーローはいつも旅立ちから試練を経て転生なり悟りを開くなり、栄達を遂げるなどするという聖書の昔から現在のRPGに至るまで貫かれているベストセラーの王道を追う物語設定を一件糞つまらなそうに見える歴史の教科書に書いてあったりして、更には司馬遼太郎というそれなりのストーリーテラーがそれを題材にして長編(長い本って目立ちますよね)を書いてしまったこととか、その他諸々、新撰組とかいう空気を読めない脇役が一部の方々を魅了したとかそういうあれでその手の大分考察や、公平性の足りない一方的な歴史観が日本中に蔓延してしまったのだと思います。
何だろう、やっぱすかっとするもんがあるんですかね。徳川時代に支配階級だった武士階級は全人口の1割程度で、残りは農民というところで、現在時が読める人達の4代とか、5代前は非支配階級だったのがそれを尚更かき立てるのかもしれないとか、司馬遼太郎が稀代の釣り師だったこととか、丁度その頃の体制が制度疲労をおこしたところで、暗黒の魔王のようなアメリカが突如現れることとか、なんだかもう歴史のifが重なりに重なりまくってるからなんでしょうか。考えだすと尽きない与田話ですが、まあどうでも良いです。


そういうときに、徳川幕府は、末期の3大改革をもってしても制度的な硬直を打破できず、突如表れた脅威に対して、不平等条約を飲んでしまうような弱腰の体制に終わり、尚かつ向こうとこっちの戦術的な兵器のレベルが話にならねーとかもうそれは叩かれる要素満載な感じであるのです。
それに対する維新の志士といわれる人達のしたことは、国内の進取の気が(ryとかの若者と、政府転覆を企む300年前に遠いところへ封じ込められた捲土重来を期す大名が悪巧みをして政権を纂奪してやろうと、体制にいちゃもんをつけて、嫌がらせをして、体制を自壊させて、自分たちで替わりに政治を行うということでした。まあいわば反乱軍だわな。それが今日でも悪いことといわれてなくて、寧ろ良いことのようにいわれるのは、今日の日本がそれなりに反映を遂げていることとか、まだその頃できた政権がひっくり返ってないからなのでしょうがね。
じゃあ教科書的な江戸幕府のしたことは到底誉められたことでもないし、かといって座して死を待つよりはと潔さを見せた訳ではないよねと。まあ別にあそこまで手駒がなくて、周りに変なのがいたらあの位しかできないんですけどね。外は変な外人がいるし、中ではDQNがいちゃもん付けて来るし、江戸幕府の中の人もさぞかし困ったことと思います。そりゃ粛正の一つもするわな。
じゃあ相変わらずgdgdだったけど、実際に彼ら江戸幕府は何をしたかって、中の変なのは放っといて、ある時期までは一貫して外部からの火の粉を振り払うための行動を起こし続けているのです。林子平の海国兵談が後の時代に日の目を浴びて、海軍を作ろうとしたり、戦艦買おうとしたり、その手のもの。一方で、内部に向けては相変わらずノーガードでして、これはもう同じ日本人なら無茶しねーだろとおもってたんじゃねーのとしか思えないくらい新しい兵器の購入とかしてないのです。実際に当時日本から流出した金と銀は日本国内の金と銀の巷間比率が広く世界で通用してるものとは異なるから怒ったものであることも否めないけど、多くは海軍関係に出してるのですよ。
そうなるともう脅威は外国であって、薩摩とか長州とかその辺じゃねーよということなんですよね。当時の江戸幕府の中の人達がどれだけ外国に対して脅威を持っていて、一方で薩摩とか長州とかがどれだけ空気読めなかったかとかよく分かるエピソードです。そりゃ万博に薩摩とかいって出されたら江戸幕府だって怒ります。こういうことしといてヒーロー的な扱いを受けるというのはどうにも納得いきません。まあ時代の流れなんでしょうが。しかし無法者が大手を振るうのは納得いかん。


その後ではどうなったかって、うっかり勝海舟なんていう異様にリベラルで空気の読める人間を登用してしまったので、碌に喧嘩もしないで江戸城が明け渡されまして、更に権力の委譲が江戸幕府から明治政府へかなりスムーズに行われました。もう混乱とかないし。フランス革命とか、お前ら何度革命してんだってのとはちょっと違うふいんき
その上、当時の支配階級というか、役人である武士達を全員リストラしてしまうのですよ。なんだろう、退職金払うから全員首で、再雇用は改めてエントリーして下さいみたいな扱い。こうして武士達は自分たちを自分でリストラしたのです。
まあね、当時の明治政府の中に多くいた外様大名の下級武士なんてリストラされても自分たちの食い扶持は確保してあるし、もともとの職なんて屁でもないだろうけど、その他難の擾乱にも巻き込まれなかった藩とかそのへんの人達は精々加波山事件とか、その位のくだらねー不平士族の乱を起こすくらいなんですよ。高々数百人オーダーの。
それに対して、明治以後最大の内乱って、西南戦争で、不平士族の反乱的なものと、新政府に対する元の中の人達のこんな筈じゃなかったが物凄い勢いで出て来たものでして、相変わらず首にされたムカつく「だけ」ではないのです。この辺を考慮すると、どうやら当時の武士達というのはそろそろ歴史の表舞台から引くことも考慮に入れてたのではないかとすら思えるのです。そう考えると、下のブログに書いてある江戸幕府の件について物凄い分かりやすかったりして、そういえば昔は日本史が得意だったこととかも思い出したりしたのです。

http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/03/post_ffa2.html#more

なんかこの辺の描写が去年の大河ドラマ「厚姫」に出てて、漸く国営放送も歴史を敗者の視線から書くことを中の人が許可したのかと、妙に感慨深いものがありました。龍馬がゆくとかは、幕府倒した、新撰組うぜーとかその程度のもんですが、それに対して、当時の江戸幕府の中の人達がどういう考えを持っていたのかを考証してドラマにしたのにはそれなりに意義があると思いました。
まあ宮崎あおいは俺みたいな典型的な劣等生から見ると、典型的な優等生みたいな感じがしてみるに耐えなかったし、女の闘いとかいうものも男の俺には理解の範疇を超越しているし、虚弱としか書かれていない将軍が実は賢かったとか、超設定がいくつかあるんですが、それもこれも新しいしてんを導入したことのオブラードであるとすれば全て納得がいく。しかしNHKがそこまで考えていたかは謎。単に変な人生を送ることになったお姫様を話題にしたかっただけなのかもしれないし、昨今品格がどうとかいうのに乗ってみただけなのかもしれない。
それでもそういう敗者の視線から描いたものがそれなりの視聴率を得てしまったという事実は僕が子供の頃に社会科の授業で習った、かなり変更した歴史観が少しずつ覆され始めてるからかもしれないとも思い、流石に歴史感も20年経てば変わるもんだと思いました。まあこの調子だと戦争についてはあと140年後なんだろうけどな。