江戸時代末期の国防体勢について

この辺りからあれですわ、司馬遼太郎さんの、「龍馬がゆく」と、「翔ぶが如く」とか、その辺の半分釣りとしか思えないようなあれに世の中の多くの方が幻惑されていき、海国兵談とかその辺の話とかが余り語られていなくて残念だなあと思います。

阿部の急使に「斉昭の反対があるので、交渉に万次郎を使うのは控えるように」と伝えられた坦庵は、翌日の二四日、再び阿部と面談。万次郎の採用は表向きには見送られたが、ペリー側の報告(「米国艦隊遠征記」)には、万次郎を伴った坦庵との交渉が記録されている。
「米国遠征記」によれば、江川坦庵はこの秘密交渉の中で、日本が開国したらアメリカも日本に国を開くのか、アメリカに土地を持つ(拠点を置く)ことができるのか、と問うている。「なぜそれを望むのか」とペリーが質すと、坦庵は「アメリカの政治制度の研究所を作りたい」と答えたという。民主共和制や大統領制などを学びたい、というのである。
 ペリーはこの言葉にいたく感動し、即座に用地の提供を約束し、「ビバ、友邦・日本共和国!」と叫んだといわれる。
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