理系の連帯

はてブgdgd見てたら、なんか突っ込みビリティ満載のテキストが見つかりました。
理系はもっと仲間意識を高めて、社会の中で権益を拡大するために連帯するべきらしいです。理系白書みたいだなあ。そもそも連帯ってさあ、ポーランドのあれかよ。そういうのを彷彿とさせますね。孤独を恐れず連帯を求めるとかだっけ。ワレさでしたっけ。
あとはやたらと理系に対して無理解な感じがプンプンするんですよね。書いたのはきっと文系でしょうね。少なくとも理系的なセンスは皆無な文章でした。というのを考えると、未だに世の中に残ってる古風な社会主義の人たちが理系をアジテートしてるみたいな感じがして見てて面白いです。
どーせ理系なんてこんなもんに食いつきやしないんで、はてブで生暖かく見守られるのが関の山だと思うので、俺も適当に突っ込みを入れて、ブクマして他の人のコメントを見てみますかねという感じです。

http://rikoukei.com/rentai.html

ということで、以下引っ掛かるところを挙げてきます。何かセンスが違うんだよなあ。まあきっと釣りでしょと思いながら。

I.理系の連帯が難しい理由
1.理系は、連帯の重要性を過小評価する傾向がある
理系の連帯が難しい最大の理由は、理系が連帯の重要性を過小評価する傾向があることです。
文系は、歴史等で、連帯に失敗した国が植民地化されていったこと等を良く学びます(いわゆる分割統治)。
理系も、歴史を学びますが、年号や起こったできごとの暗記にとどまり、なぜアジア諸国が植民地化され、日本が植民地化されなかったの原因までは、深く学ばないことが多いのです。私も、恥ずかしながらそうでした。
(中略)
文系は、歴史をよく学び、連帯の重要性を知っています。これに対し、理系は、学校で歴史等を文系ほどは学ばないため、細かい違いにより分裂してしまう傾向があるのです。

最初っからかっ飛ばしてて楽しいです。この人は一体どこを見つめてものを言ってるのか小一時間(ry
まず言うなら、そもそも理系は文系科目なんて全く勉強しません。ので、歴史上の年号すら覚えてませんwそもそも理系の人は人とつるむのがそれほど好きな訳ではないという根源的な性質を持ってるのでしょうがないですねと。別に学校で歴史の勉強をしなかったからどうのっていうのじゃないです。文系にはつるむのが好きな人が集まってる。それだけのことです。

2.理系は、完璧主義が多く、不完全なもの、醜いものを許容しない傾向がある
(前略)
理系の思考は、完全主義です。科学技術を扱う場合には大事な思考法です。しかし、社会で重要な思考法は、いずれも不完全なもののうち、相対的にましな方を選んで連帯するという思考です。それは、科学的な思考ではないので、理系の人は拒絶反応を示すのです。だから、理系は、自分の感性と合わないもの、少しでも考えが異なるものを見ると拒絶し、1人でやろうとする傾向が文系より強いのです。小さな違いを捨象して、大きな目的のために連帯することが文系よりも難しい傾向があるのです。
(中略)
理系は、これらの団体の不完全な面を見て拒絶する傾向が文系よりも強いのです。どんな団体の主張も、人間が1人1人違う以上、全部は受け入れられないでしょう。必ず、感性に合わない部分が出てきます。完璧主義の強い理系の場合、その時点で、その団体の「主張全体」を受け入れなくなるでしょう。そして、「この団体の考えは自分と違う」、「どの団体にも賛成できない」と考えることになります。
(後略)

完璧主義が多いというのも理系文系に関係ないと思うんですよね。個人の資質に依る所が多いんじゃないでしょうか。色んなソフトウェアがしょっちゅうマイナーアップデートをしてるのを見れば常に完璧なものをリリースし続けてる訳ではないのは分かるかと思います。更に言えば、相対的にマシな方を選んで、つるむというのも十分に合理的な考え方なので理系の人に受け入れられないということもないはずです。理系の二元の判断基準はそれが合理的かどうかが一番だという傾向があるので、内容が腐って様がなんだろうが合理的ならばそれで良いのです。
ということで、不完全だろうが醜かろうが腐ってようがそれがそこそこ合理的で効率が良ければ理系には受け入れられるはず。

3.理系は、合理的な思考が発達して計算高いため、自分の損になることをしたがらない傾向がある

ふーん。計算高いのはどっちかね。というか人間誰しも自分から泥を被るような間抜けはいないはず。泥を被るならそれはそれでその後のリターンを期待してるはずで、理系だろうが文系だろうが関係なくやるんでないの?

4.理系は、科学的な思考が発達しているため、厳密に考え、大雑把な議論を嫌う傾向がある
(前略)
たとえば、理系と文系について、上記の議論は、厳密ではありません。理系でも文系的に考える人は多いし、文系でも理系的に考える人は多いのです。上記の議論は、全般的な傾向を示しているものにすぎません。
しかし、上記のような議論をすると、理系の人は、「理系でも、こういう人はいる」、「文系でも、こういう人はいる」、「だから上の議論は間違っていて、考慮するに値しない。非科学的だ」という結論に至る人がいるのです。
確かに、科学的にはそうでしょう。しかし、全般的な傾向として、社会現象を分析していくことが、社会では必要になるでしょう。
理系から見ると、社会学などの文系の学問は科学ではないように見えるかもしれません。しかし、実際には、社会は複雑であり、数学や物理だけでは割り切れないのです
理系は非科学的だと感じるかもしれませんが、物理学で社会を分析することは、まだできません。社会の中では、大雑把な議論でも、多少でもましな程度に、社会現象を捉えていく必要があるのです
(後略)

往々にして科学的なものの見方というのは最初は大雑把に考えて、そこから小さいスケールのことを考えてという風に色んなスケールでものを見ながら考えるものです。それに大雑把な計算をしてるようなところも沢山あるし、別に厳密さなんてあんまし考えてない人も多いのもそれはそれで事実。さらに大雑把な議論もそれはそれで使いでがあるので大いに使われています。
ということで、これも見当違い。更に数学や物理で社会現象は割り切れないとか書いてあるけど、じゃあ統計とかああいうのはどうなるんですかねと。統計学は非理系的ですか、そうですか。

II.理系の連帯が、地位向上運動には不可欠であること
III.理系、理工系の地位向上運動が、広範な連帯を呼びかけている理由

結局言いたいことはこれなんですねと。まとめがこれだからなあ。女性の地位向上の次は理系の地位向上ですかと。随分とお後が宜しいようで、結構なことでございますね。実に世の中にメシの種は尽きませんね。
因みにGoogleで「連帯」を検索すると労組系のサイトと、連帯保証人のサイトが沢山出てきます。そういう言葉を使う人達がどういう人達であるかというのが如実に現れてますね。仕掛けたのはそういう人達か、そういう人達の評判を落としたいという意図を持ってる人達なんでしょうね。理系もそんなのの山車に使われていい迷惑です。
まああれですかね、最初に理系のことをこきおろして、お前らこんなんじゃダメだよ、もっとみんなで協力して一致団結して敵と戦おうみたいなあれですかね。プゲラッチョ。そんな餌には釣られクマーですよと。みんなで連帯して理系の地位向上を目指すという発想がそもそもルサンチマン丸出しでいけてません。猛烈にだせえ。何か70年代テイストですね。社会主義ですね。ルサンチマンてまあ要するに負け犬根性っていうことなんですけど。こういうのって何メソッドっていうのだろうか?まあどうでも良いや。