靖国神社にこだわる人達
何だか僕が子供の頃から(中曽根とか)の時代から靖国神社に政治家が参拝するのがどーたらこーたらとか言ってた気がします。20年前だから、あのころは戦後40年か。
戦後40年なら戦争の生き残りもいただろうし、ほのかに記憶が残ってたかもしれない。でもそれからまた20年経って、色んな記憶が風化して来てると思うのです。
俺に戦争のときに疎開したとか、空襲がきたとか、麦飯がご馳走だったとかいう話をしてた婆ちゃんが亡くなり、リアルな話を聞ける人が段々少なくなって来てます。一番上の伯父さんがとっくの昔に古希を迎えてて、戦争を知ってる爺ちゃん達がどんどん少なくなってきます。もう戦争のときはと僕に言ってくる身近な人は居ません。僕の中では少なくとも婆ちゃんが亡くなってから戦争は風化してます。
参拝に行く人の口上は、「国のために命をかけた人達をお参りする」とか言います。
反対する人は、「多くの国民に被害を与えた人達をお参りするのは罷りならん」と言います。
どっちもどっちな気がします。
国会議員で靖国神社に参拝する人は、議員になる前は参拝してたんでしょうか?国会議員っていう国民をある意味で代表する地位に就いたから参拝しますっていうことなんでしょうか?
うちの親戚では戦争にいった人は何人もいるけど幸い誰も靖国神社に祀られることがないまま終戦を迎えました。ので、親類が祀られてる訳でもないので、神社の前をしょっちゅう通ったりしてたんですが、お参りしたことはありません。普通の人にとっての靖国神社なんてそんな程度のものなんじゃないでしょうか。物凄い思想的なこだわりがある人を除けば。
まあ普段何もないときは静かで良いところですよね。
いつまでお参りするのか?
靖国に参拝する人が国会議員の偉い人達の中で少なくなれば、靖国参拝反対とかいう人も居なくなるのです。そういうことで、あの騒ぎが毎年恒例な感じでテレビに映るのは靖国に参拝する人が居なくなればあの騒ぎも無くなる訳ですよ。
ということで、戦争が風化し切って、誰も気に掛けなくなればこの問題は解決します。靖国神社に参拝する人が全員心変わりするっていうことも考えられるけど、それは殆どないのでここではスルー。
じゃあ、いつまで記憶にとどめとくかっつー話ですよね。
靖国神社のもともとの謂れは戊辰戦争で命を落とした官軍方の兵隊さんを祀った施設なんですよね。
でも、今は第二次世界大戦のときに戦死した人達を主にお参りしてます。誰も戊辰戦争のときの戦死者のことなんて気に掛けちゃいません。勿論その後の日清戦争とか日露戦争とかのときの戦死者も祀られてるんでしょうが、やっぱりこの辺も気に掛けられてません。
ということで、普通そういう風にして忘れてくもんだと思うんですが、どうなんですかね。60年も経てば色々と変わるでしょ。遺族の人も減ってけばそういう要求的なのも減ってくでしょ。それをなんで蒸す返すようにお参りする、しないでもめてるんだっつーことです。
もうネタ作りのための要素が満載な感じがこの辺からもプンプンします。勿論太平洋戦争が日本がガチで戦った最後の戦争だから目立ちやすいっていうのもあるけど。だからまた戦争があれば太平洋戦争のときに戦死した英霊なんて歯牙にもかけられなくなるかもしれない。
じゃああいつらはいつまでああいうことをやるんだと思ってるんだけど、やっぱこれも壮大なるマンネリ芸というか、年間の恒例行事だと思えば良いのかなあ。そういう風にゴタゴタ揉めながらお参りしたり、しなかったりするもんじゃねーと思うんだけどなあ。
靖国神社の財布
そういう問題とは別に、これからどんどん太平洋戦争のときの遺族の人達が亡くなってけば靖国神社の支持母体ってどんどん小さくなってくんじゃねーかと思うんですよね。好き好んで自分の身内が祀られてる訳でもねー神社に金払うバカもそうそう多くないと思うのです。切実にお参りする人が少なくなればそれに共感して金を払う人も減ってきます。
となると、靖国神社ってそろそろピンチなんじゃねーの?
それこそ遺族の方が全員なくなってしまった暁にはどっから金引っ張ってくるんだろうか?
この問題を解決するには、
- 国の補助を受ける
- 靖国神社の素晴らしさを広く世間にアピールして金を巻き上げる
- 祀る対象を広げる
- また戦争が始まるのを待つ
とかいう一番上の以外は果てしなくブラックで起こって欲しくないものしかありません。ちなみに僕は戦争なんて起こって欲しいとは思ってません。戦争が起こると景気が悪くなるのは世の定め故。
そういうことでそう遠からず靖国神社は国の下に入るんだろうな。とか思ってみる。