こいつバカと違わないだろうか

はてなの取締役の人が何か言ってます。Webが自分の思った方向に進んでて残念らしい。まさか全能の視座にでも立っているつもりなんだろうか。この手の不遜さを見る度に呆れたりする訳だけれど、取締役がこんなんでもつとまんのかと思うことしきりです。
アメリカだか、某シリコンバレーだと世間的にもっと格調高いツールとしての使われ方をしているらしいです。ので、今のようにエンターテイメント指向だったりするのは残念らしいです。別に道具がどう使われようが知ったこっちゃねーっつーのな。そもそも使われている言語としては英語の方が多いだろうし、日本人だって、英語のドキュメント読むでしょ。一億総表現時代とかいうけど、表現するものなんてなんだっていいじゃん。ご本人はそうでない方向に著書を通じて世間をアングリングしたつもりだったんだろうけど、予想よりも狭い範囲にしか影響力が及ばなかったか、梅田さんの予想をはるか先にWebの世界が進化したかどっちかじゃねーの(そもそもWebという用語も鼻に付く)。
その辺はもっと別の賢い人が考えてくれるから良いとして、日本的な使われ方の方が広く大衆に使われているという点では悪くはないと思うんだけどなあ。ウェブはバカと暇人のものとかいうけれど、世の中何でも賢くて、忙しい人が多けりゃ良いってもんでもない。なんでもかんでもそうだけど、遊びがないと疲れますよっと、まあそう思うのです。
なんというのかな、俺的にはアイマスマッドの方が、外国語のドキュメントの日本語訳とかよりも見てて感動がデカいですよ。大体そんな知を世界に知らしめるなんざ、それこそ暇人が勝手にやってりゃ良いもんで、好きな人が好きな人伝に勝手にやれば良いもので、そんな需要の少なそうな格調の高いものよりも、これまで人前にでることのなかったおーこれすげーと思うものが手軽に手に入ることの方が素晴らしいと思うのです。もともとは目指す所は似たようなもんだったんだろうけど、出たものが格調高いものなのか、ニコニコとか、その手のものだったかの違いで。そして俺としては後者の方が好きです。楽しいし、純粋に才能の無駄遣いは見ていて清々しい。
なんつーか、ノーベル賞の授賞式で、小柴先生が、アインシュタインの特殊相対論は、アインシュタインがいなくても、誰か賢い人が代わりに考えたかもしれないけど、モーツァルトの曲ってのはモーツァルトでなければつくれないもので、なので、お勉強よりもアートの方が価値があるんでないのみたいな話に痛く感銘を受けたもので、そう思うのです。まあアイマスマッドがアートかというと、それは怪しくて、俺みたいにゲイジツ関係に疎い人にはそう見えるというだけの話で。そういうことで、残念棚んだってケツの穴の狭いことは言うもんじゃねーってこった。

日本のサブカルチャー領域でのWeb文化の隆盛は十分に分かっていて、敬意を表しています。だから、今さらそういう事例について議論しても、日本のWeb文化が特に変化したとは思えないんだよね。
ただ、素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、“上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045_3.html

しかし、このメインカルチャーが「上」で、サブカルチャーが「下」ってこの人いつの昭和時代を生きてるんだろう。それともそういう権威主義的な環境にでも育ったんだろうか。