より良い世界

そもそも良い悪いなんていうのは個人の主観なのであって、良い世界なんていうのは、言ってる奴の主観と照らし合わせたら都合の良い世界なのだから、良い世界なんてのは自分にとって都合の良い世界な訳です。なので、自分にとっての良い世界というのが、他の奴とたまたま一致したからといってそれが普く世界中の人と同じものではないのです。
もし、「より良い世界にするために」と発言する人がいう「より良い世界」というものが一義に決まるものだと想定しているのならば、そいつが発した、「より良い世界を目指して多くの人達が無償で」どうのこうのと言ってるのは、そいつが勝手に決めた「より良い世界」を作り上げるために周りの奴らが労力をつぎ込むとか能天気で、傲慢なことを想定してるのかなあと思いました。うん。あれ、Web進化論の人。
大体、良い世界なんて人それぞれ微妙に異なるもので、それぞれの人が自分にとってのより良い世界を目指す訳だから、素晴らしい集合知と言われるものも、集合愚というものも生まれれば、祭りとか起きる訳で、素晴らしいと言われる集合知のみをより良い世界の成果物と考えているのなら、そりゃ残念な人ですねとしか言いようがないです。
色々とインターネッツ上で、色んな人の手垢にまみれて生まれた素晴らしいと言われる集合知も、ニコニコみたいなエンターテイメントも、皆が自分にとってより良い世界を目指したからできたものであって、そのうちの一部について(集合知だか、なんだか、オープン系の成果物とか)が思ったよりも盛り上がってないのを示して、残念とか、上の人に頑張って欲しいとか、どんだけ人間は傲慢になれるんだと思いましたっ!!評論家だか、コンサルっつーのはそういうのが多いんですかね。
そもそもあれですよね、「良い世界」なんて茫洋としてつかみ所のないものの定義を俺様定義でしてしまって、そこから議論を始めるとか、頭が悪過ぎますよね。まあ良いんですけど。しかしなあ、自分の気に食わないものが盛り上がってるのを見て、残念っていうって、本当にどんだけ残念なんだろうなあ、梅田望夫