冬山とか雪山で遭難してTwitterで助けを求めてもどうにもならないこともあります

冬山で遭難したねーちゃんがTwitterで助けを求めて、救助隊に発見されて助かりました。よかったね。みたいな話になってますが、そんなもんはただの偶然で、「たまたま」携帯なりの電波が繋がる場所にいたから助かっただけであって、そんなもん美談でもなんでもなく、ただ単に運が良かっただけに過ぎないんですよね。

電波さえ繋がればtwitterユーザーがなんとかしてくれ…ます!?
http://togetter.com/li/5632

とかかいてありますけど、そういう風な言いようはただただ誤解を招く要因にしかならず、運が良かっただけ、ということを強調しすぎても強調し足りないと思います。


まかり間違っても、「良かった良かった」には「Twitterすげー」とかにしてはいけない気がするのです。なんとなれば、山なんて携帯の電波が繋がらない所の方が多いし、よしんば何らかの連絡手段で遭難したと警察に知らされたとしても、救助隊がアクセスできない所へ滑落していたら、正に座して死を待つような状態になりますし、それは救助される確率が大いに上がったということについては大いに凄いことだと思います。
しかし、それとは別の次元の話で、冬山なんていうのは、両親を十分に説得の上、に先立つ不孝をお許しくださいと言い残して行くようなもので、そんなような覚悟を持ちつつも生きて帰ることに対して最善の方法を尽くすべきものであると思うのです。
そういうことで、冬山の恐ろしさは強調しすぎてもしすぎることはないと思います。っつーか、素人はスキー場ででも遊んでろ。あと体力ない奴は山登るな。迷惑だから。