バイオの中の人達も大変らしいです

20世紀COEとかいってた頃はまだ安閑としていたのでしょうか。国立大学が法人化されてから厳しくなったのか、それとも真綿で首を絞められるように苦しくなってきたのか良く分からんのですが、大学も大変らしいです。
特にバイオはCOEでは重点的に扱われてた気がするのであれがなくなった後は高学歴失業者が大量に出てたりとか何とかするんでしょうか。もう大学という場所を離れて2年近いので、あそこでの振る舞い方も中の人達のふいんきもすっかり忘れてもうた。
しかしバイオの研究がねるねるねるねを作ることと、ピペットマンを操ることとはよくいったもんだなと。俺の知ってるバイオの口座のなかはそんな感じだったっぽい。後輩と話してて、「あいつら人間マニピュレータじゃん」とかいってたら、その後輩に、「後ろから刺されますよ」とかいわれてバカ話をしていたのだけれど、あながち嘘でもないっぽい。そのときは冗談半分だけど、やっぱ本当なんですかね。


ともあれ俺様も一時期はバイオを進路の一つとして考えていた訳ですが、大学入って、生物の授業を受けて、俺様にもっと数式を食わせろと思い、あーこりゃむかねーなーと思って会えなく挫折したのでした。生物か数学かと大学入る前は思っていたものの、数学は明らかに才能がないので、生物かなあとおもってそれっぽい所に行ったもののやっぱ工学部の授業ばっか受けて立とかそんなかんじだった気がする。
あの頃はまだ生物もそこそこ脚光を浴びていたのかも。10年くらい前だけど。
それから時間も経ってる訳で、中々世の中世知辛くなってきたんでしょうか。あの頃はまだまだ生物に夢とかなんとかそういうものもあった気がするなあ。中の人達はどうだったか知らんけど。
なんにしろ、それなりにお勉強のできる人達に理科系的な素養を一切身につけさせることなく、大学からほっぽり出してしまうのだから、生物学というのも罪な学問です。というか、中の人達の認識があれなのかもとか思ってみたり。
やたらと研究室への献身を要求されて、正月も実家帰んないで生き物の世話とかしてる割に報われない感じもしなくはない。しかし金払ってる客たる学生にそういうことさせんのかよと思うと、大学の講座の徒弟制度も相も変わらずで、技官を沢山使ってもっと学生に高度なことをやらせようとか考えない大学教員というのはちょっと狂ってる所があるなあと思う今日この頃。雑用だけさせて、適当な修論だけ書かせて後は知りませんとか、教育として何かが違うわな。高卒で働いてるあんちゃんたちの出身高校じゃそんなことはしねーだろーよと思うんだけど、大学っていうのはそういう俗世とは隔絶されているべきとか考えている方々も居られたりするんですかね。
別に職業訓練校のようになれといってる訳ではなくて、卒論なり修論を書いている学生に雑用まがいのことばっかやらせて、ろくすっぽ勉強も教えないっていうのは教育としてどうよということをいいたいだけなんですがね。勉強しないで、ピペットマンで液体救ったり、試料を捏ね繰り回したりすることが教育かというとちと違う気がする。っつーか、ピペッターとか、ホモジェナイザとか、買えよって話なんですけどー。
しかしなんだろう。あの、生物関係の講座というのはどことなくhoge土方みたいな気質の人間を育てるのには一役買ってそうなふいんき。ノリが高学歴DQN企業というか、そんな感じです。雑用はやったら多くて、上が五月蝿い割にはみたいな。雑用という言葉があれなら、それ、実験じゃなくて、実験の準備ですからと。やったらきっつい実験の準備を乗り越えた自分に陶酔して、徹夜したとかなんとか、凡そそれ生産性あがんねーだろみてーなことを声高に自慢する痛い人達を見て思った。まあそのくらいしないとやってられないような所なのかもしれないけど。なんつーか、ちょっと彼らも下の育て方とか考えた方が良いんじゃないですかね。技術は日進月歩で進歩し、設備とか装置もそれなりに進歩していくんだから、雑用は機会にやらせて、人は脳味噌を使わせるべきだよなあ。
まあ金がねーとかそういう理由なんだろうけど、今のような重み付けをして予算配分をして、トータルの予算はしぼるとかバカなことをしているとちゃんとした教育を受けられずに、大学を放り出される犠牲者が益々増えるだけだと思うんですけどね。まあ文科省に何をいってもすでにあれは科学とかあんまし関係なく科学技術の政策を立てていそうな役所なんで無駄なんですがね。

http://anond.hatelabo.jp/20090820154255
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