シベリア抑留

うちの母方のお爺さんと曾爺さんは戦時中海軍にいて、満州で飛行機を飛ばしてたらしいです。曾お爺さんは職業軍人で、佐のつく階級だったらしいです。お爺さんは満州の炭鉱に大学の実習で行って、現地で徴用されたらしいです。そもそも赤紙すらこなかったらしい。
そして戦争が終わってソ連が来た訳ですが、二人ともそのままシベリアに抑留されたらしいです。シベリアつっても広いからどこかは知らない。シベリア抑留も色々なケースがあるらしいというのがありました。

http://d.hatena.ne.jp/rna/20070801/p1

うちのお爺さんはその当時下っ端だったので、こき使われてたらしいです。でもご飯はそこそこちゃんと出たらしい。オートミールがどうのこうのとかいう話を聞いたことがある。巷間シベリアに抑留されてた人で共産主義に転向した人は優遇されたというのが言われてますが、うちのお爺さんはどうだったんだろう。知りたいような知りたくないような。
お爺さんは運良く他の人達よりも早く帰国できたらしいです。そういうのがあるから尚更色々と気になる。きっとお袋がそのときのお爺さんの日記を持ってるんだよな。
曾お爺さんはそこそこ偉かったので、収容所的なところでは働かされることもなく、軟禁されてるだけで終わったらしいです。一応偉い人はそういう扱いだったらしい。偉いからそうということはなくて、色んな情報とかを握ってるからそうだったんだろうけど。
今となっては曾お爺さんはシベリアで余りにも暇過ぎたので、そこらで拾ってきた象牙で雀牌作って麻雀やって遊んでたとかいう笑い話しか残ってません。真相はどうだったんだろうか。ちょっと気になる。
夏になって終戦記念日が近くなると、夏の暑さとともに毎年何となくそういうことを思い出したりします。つくづく戦争っつーのは無い方が良いもんですね。と今の時代の人間である俺は思うんだけど、戦時中の人はそれとはまた別のことを思ってたんだろうと考えるとまた更に話がややこしくなる。まあ割とどうでも良いような話ではあるんだけど。