「君の名は。」についての妻へ提出する感想文

5年ぶりくらいの日記だけど、「君の名は。」がDVDで出て、うちでもAmazonか何かで買って、妻がみて、俺がどう思ったか述べよというので、書く。
君の名は。」は去年の冬だったと思うけど、欧州から中東経由で東南アジアに移動するときに見た。2回見た。
欧州から中東まで6時間くらいかかるけど、そこで1回見て、とても面白かった。
そこから飛行機を乗り継いで、次のフライトは13時間だったのだけど、そのときにはシンゴジが出てたので、それを最初に見た。みんな面白いと言ってたけど、今ひとつ面白い面白く無いよりもCGの物理モデルはどういうのを解いてるのかとか、そういうディティールが気になってあまり楽しめなくて、寝そうになった。というか、寝た。別にゴジラが襲って来ても映画の中でも世界は最後には救われるわけだし。
そうやってシンゴジラを子守唄に寝たところを、隣の女性がトイレに行くからどけと言って叩き起こされて目が覚めて、こいつ氏ねばいいのにって思ってたら寝付けなくなったので、また君の名は。を見た。
2度目に見ると1度目には気がつかなかった色々なところに気がついて、面白かった。これはあと3回くらいはいけそうだなと思った。
以上が滅多にフィクションを見ない俺が「君の名は。」を2回見た顛末である。




ここから妻に論評をしろと申しつけられているからそれを試みるのだけど、そもそも論評なんていうものはしたことがないし、読書感想文は嫌いで嫌いで仕方なかった。それによしんばなにがしか論評したところで、国文学科を出たオタクの妻からしたら浅い考察だとか、視点が稚拙だとか、そういうことしか言われなさそうだから、正直なところ読書感想文以上に気が進まない。だいたい感想なんていうのは面白かった、面白くなかったしかないわけで、読書感想文というのであれば、読んだ本が面白かったか、面白くなかっただけ書けばいいのに、それを原稿用紙3枚に書けなんていう出題の仕方が成立していない。面白いか面白くないかだけで原稿用紙3枚なんて埋められないから、みんなそれらしいあらすじの紹介とか、論評のようなことをするのだけど、ただ感想を書けというだけで、あらすじを書いて、それを元に感じたことを書けとか、感想を書いて、そう思った理由を書けとか、もっと具体的な求めることがあるはずなのに、ただ感想を書けとだけ言われても何をしていいかわからない。だから何もしないのである。
こういう問題としての態をなしていないものを無事にこなして来て、さらに自分たちが教師になってもなおそれを生徒に課そうとするのは、感想を述べよという問いに対して、あらすじを書いて、感想を書いて、感想を抱くに至った経緯を書いて論評するような、出題内容を自分なりに解釈してしまうような身勝手なことであり、教師というのは本当に身勝手なのか、空気を読むのがうまいのか、そういう人たちなんだろうなと思って高校を卒業するまでの12年間というのは大人に対して絶望をし続ける12年間であった。本当に教師にならなくてよかった。



嫌なものは嫌だと言ったところで、妻から言われたことはやらないといけない訳だけど、そもそもの話として、最後にこの日記を更新したのは結婚する前だった。今は結婚して子供が2人いるのだけど、その経緯は特に書かないこととして、結婚して子供ができて色々と変わったことがある。
多分そのうちの一つが「君の名は。」みたいな物語を見て面白いと思うことなのだと思う。
結婚する前にこれを見たところで恐らく面白いとも思わなかったと思う。恐らくくだらないボーイミーツガールの物語であるとか、時空間が整合しない物語だとか、SFがいかに嫌いかを羅列するようなことになったと思う。



ごくごく個人的なことを言うのであれば、結婚するとき、妻とは運命的な出会いをして、割と性格が合うからすぐに仲良くなったけど、住むとことか、仕事のこととかの問題で自分なりに一生懸命になってそれを手繰り寄せて結婚したと自分では思ってる。ちなみに妻はどう思ってるか知らない。
そういう視座に立って「君の名は。」を見ると、どう言う因果かわからないけど男の子が女の子と運命的な出会いをして、色々と頑張って女の子と最後はくっつくという自分なりの大きな物語があって、それが自分が経験したことの追体験を主人公がしているかのように見えるので、ものすごい勢いで感情移入した。男と女が運命に引き寄せられて出会って、くっつくのは単純に素晴らしいことである。そして、とても沢山酒を飲んだときに色んな人に結婚するときの話を聞くと多くの人が結婚するときにきちんとしないといけないと思ったとか、運命を感じたとか、こいつしかいないと思ったとか、感傷的なことを言うもので、やっぱり男性というのはそういう生き物なのかもしれないし、結婚したおじさんというのはみんな自分の中に自分なりの人生をかけた大きな物語を背負っているものらしい。だから割と若い男の子達よりもおじさんの方がこういう物語は見てて、必死に運命に逆らってもがく主人公を昔の自分を引いた立場で見ているのかもしれない。
それではなぜ、特に「君の名は。」だけそう思うのかという、文学部的ないやらしい分析をしていくことになる。



妻はというと、彼女は映画鑑賞のプロなので、物凄くプロっぽい感想を述べるわけである。ある種、極めて分析的に見るわけで、そういう風にして見て何が面白いのだろうかと思ったりもする。然るに、私が映画を見るとなると、それはもう素人としての見方になるわけで、自分の感想の根源を問いただしたこともなければ、物語の作法を論評することもないわけである。
前者についていえば、これまで読書感想文から逃げまくって、高校を卒業したときにもうこれで読書感想文を書くのも英語の勉強も終わりだと快哉を叫んだものであり、人生の至る所で出くわすアンケートのその他感想とかいう欄はいつも特になしと書いてきたわけで、自分の感想に対する分析などしたことがない。つまりこれはこれまでの人生の中で逃げ続けてきた自分の感想と向き合いという、自分との対話をする作業でもある。
正直なところ苦痛で仕方ない。
人間なんてよくわからないし、他人にもさほど興味もなければ、自分の感情にも頓着しない40がらみのおっさんが瑞々しい少年の物語を見て感動した理由を開陳させられるというのは全裸で外をほっつき歩くのと同じようなことである。
そうはいったところで宿題はいつか提出しなければいけない。
陳腐なところで、これは面白いと思ったポイントを列挙するところから始めようと思う。ちなみに妻にどこが面白かったと言われたときも全部としかいえなかった情緒の薄いおじさんである。

  • 電車の描写が実物とわりと忠実で良かった。ただ、巷間言われているように、新宿と代々木の間で山手線と中央線の各駅が交差するのが再現されていなくて違和感を覚えた。
  • 年上の女性が好きだ。妻も年上だ。
  • 瀧と三葉がお互いのことを忘れるときに、ふと振り返ると忘れて、ああこういうのあるある、年取って特に最近増えてきたわって思った。
  • おばあさんのセリフに組紐について時間の概念と合わせて、絡み合って、行ったり来たりするというのがあって、このセリフを以ってして作者がこの物語は時系列についての整合性はとりませんよと宣言しているようにい解釈した。だからその後の3年間の時間のずれについて気にすることなく見れた。これ重要。多分俺の中でこの映画の中で一番重要なポイントだったと思う。こうしてこの話は物理的な整合性は一切配慮しませんよという宣言をしてくれるとSFもちゃんと見られる。SFの何がダメって、フィクションをあたかも事実であるかのように描写するのがすごくしらける。どのくらいしらけるかというとパナウェーブなんとかの、スカラー波と同じくらいの勢いでしらける。こいつバカじゃねーかと思うことがままある。
  • これと合わせて、一昔前には時間の矢は逆には進まないというのをPurigogineが熱流体力学での散逸構造の話と合わせて研究をしていて、妙に思い出した。時間といえば、昔、相対論の授業で4次元Minkowski空間の話とか、経路積分の話で虚数時間は温度の積分であるというのを聞いた記憶があって、妙に懐かしんで、久しぶりに現代物理学の勉強をし直したいと思ったりした。ちなみに、こういう理論的な研究について作者が知ってるかは知らない。
  • 組紐と聞いて、組紐群の話を思い出してテンションが上がった。組紐と時間を重ね合わせるのはうまいと思った。
  • こういう物理学的なネタと映画の中のセリフとか設定を勝手に重ね合わせて引き込まれた。のだと思う。
  • 高校生のうちに年上の運命の女性と出会うというのはある意味で俺の中で妄想しうる最高のシチュエーションだからうらやまけしからん。
  • 生きていて欲しいと思う大切な女性に早いうちに巡り会えるのはとても素晴らしいことだと思った。
  • 長澤まさみは軽くて中身がなさそうに見えるくだらないセリフを言う女性を演じさせると当代一の女優だと思った。実は先輩の言うくだらないセリフが物語に重みを与えていたと思う。くだらないと言うのは、俺がくだらないと思うだけで、世間の人はそうは思わないかもしれない。所謂、リア充の人たちが言っちゃうような臭くて茶化さないと聞いていられないようなくだらないセリフのこと。君は幸せになりなさいとか知り合いの女性に言われたら多分面と向かって爆笑していると思う。それはそれとして軽い、歯の浮くような脇役が板につくというのは物凄い能力であると思う。
  • 三葉の父との対話というので、三葉がお父さんをどうやって説得するか書かれていないのがダメだと言う人がいるけれど、そんなもんは物語の構成からしらたくだらないことである。
  • 最後のシーンで物凄いもどかしさを感じた。飛行機の中でお前その女が大事なんだからちゃんと捕まえろ、記憶がなくなってわからないのかもしれないけど、自分を信じろと叫びそうになった。二度見たうちの両方で。妻に言わせるとありがちな演出というけれど、ここまで引っ張ったもどかしさを最後に解放する術はまた大したもんだと思う。
  • ちゃんと捕まえろというのは、最近のあれからいうと女は物じゃないとかいう批判を受けそうだけど、もう男たるものあの手この手を尽くして大事な女性を自分の手元から手放してはいけないわけだから何が何でも捕まえないといけないのである。なんとなく居心地が良くてそばにいたとか臍で茶を沸かすようなお為ごかしであり、滾る熱情で捕まえておかないといけない。反論は認めるけど、この点については自分の意見を変えるつもりは毛頭ない。